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2016年9月6日

NMT inc. インタビュー特集 第25回 中田奈沙

中田奈沙インタビュー
所属モデルをより深く知って頂くことを目的としたインタビュー特集。
第二十五回目は、中田奈沙(なかだなさ)のインタビューをお届け致します。

「高め合うということ」 中田奈沙

ファッションモデル、中田奈沙。
中田は以前、大手企業に勤めていた。
日々の膨大な業務に追われる中、ふとこう思ったそうだ。
「今日もし私がいなくなったら、一体どうなるんだろう」と。
中田がそんな思いを抱いたのは、大企業ならではの業務が確立されていたからだ。
ちょっとやそっとの事で、オペレーションが崩れる事はない。
多忙を極める中、中田は自分のやりたい事、働き方について考えるようになった。
「私にしかできない仕事ってあるのかな」
そんな事を思うのには訳があった。

中田には、年子の妹がいる。
この事務所に所属している、中田有紀だ。
有紀とは小さい頃から仲が良かった。
「妹は私に比べて、自由だなって思っていました」
家庭では何かと、姉だからこうしなさい、と躾けられた。
自由にしているかのように見える有紀に対し、羨ましいと思う事も多かった。
中田のOL時代、有紀は既にモデルとして活躍していた。
その有紀の存在が眩しく感じた。

中田自身、大学時代は読者モデルとしての経験はあった。
だが、読者モデルとプロのモデルとでは、求められる事が違う。
有紀がモデルとして頑張っているように、私もやってみたいと思うようになった。
しかし、有紀が仕事に打ち込む姿を傍で見て、モデルに挑戦する事を中々決断出来なかった。

これまでのように、会社勤めをしていれば安定した生活はできる。
それを捨ててまで、果たしてモデルを志すべきなのだろうか。
中田は言う。
「就職活動の頃は正直、大企業に勤める、という発想だけに囚われていました」

しかし、有紀の活躍を見ればみる程、中田の決意は固まって行った。
「とにかく厳しい環境に身を置いて、やってみようと思ったんです」
モデルを志した中田の行動が始まった。

一度火が着いたら、とことん集中するタイプの中田。
芯の強さは、有紀にも負けず劣らずだ。

NMT inc.に所属するタイミングでプライベートの環境もがらりと変わった。
着る服、住む場所、食べる物。
すると、次第に交友関係も変化していったようだ。

社交的な中田には多くの友人がいるが、付き合い方に変化が生じた。
深く、じっくり、一人ひとりと向き合う関係を築く。
「そうなったら、自然と友人達が私の目標について真剣にアドバイスをくれるようになったんです」
今まではアドバイスを気にしなかったが、親や友達からの助言は、中田にとっての金言へと変わって行った。

NMT inc.に所属し、モデル活動を本格的に始めた中田。
OL時代と異なり、モデルは現場によって全く異なる。
常に新しい環境に身を置く事で、刺激を受けているという中田。
臨機応変に求められる仕事の仕方を身につけた中田は、次第にこんな事を感じるようになった。
「私でないとこの仕事はできない、変わりはきかない仕事なんだなって」
その感覚は、OL時代に感じる事がないものだった。

自分のパフォーマンスが、そのまま結果として跳ね返ってくる。
時には上手く行かない事もある。
そんな事が続くと、じっくりその原因を考えるようになった。
例えば、浴槽に浸かりながら、一日を振り返ってみる。
果たして何が足りなかったのか、どうすればもっとよかったのか。
そのように、行動を絶えずレビューする事も習慣になった。

行動を省みることを習慣化する事で、結果も伴うようになった。
所属後、しばらくして大手企業のCMも決まった。

有紀は仲の良い姉妹であると同時に、今ではライバルでもある。
姉妹でモデルに打ち込むのは稀なケースかもしれない。

しかし、最も身近な存在と常に競い合える事こそ、中田の強みだと思う。
姉妹揃って、同じ仕事をする日も近いだろう。

切磋琢磨しながらキャリアを積んでいく中田。
「私は有言実行タイプです」
そういう中田は、将来の目標について明確に語ってくれた。
これだけの環境が揃っている中田の事だ。
キャリアをどんどん磨き、輝きが増すに違いない。

☆中田奈沙 プロフィール☆

(執筆)加藤陽太郎 クリエイティブディレクター。1984年生まれ。早稲田大学大学院国際情報通信研究科修了後、日本郵便株式会社本社勤務を経て独立。
メディア関連企業の戦略策定や企画のプロデュースをはじめ、執筆や写真撮影によるコンテンツ制作を手がけている。