news

2018年4月12日

NMT inc. インタビュー特集 第31回 蒼木まや

インタビュー蒼木まや

所属モデルをより深く知って頂く事を目的としたインタビュー特集。
第三十一回目は、蒼木まや(あおきまや)のインタビューをお届け致します。

「新たなるステージへ」 蒼木まや

とある日の午前、私はインタビューの支度をしていた。
しばらくして、エントランスから「おはようございます」という明るい声が聞こえてきた。

ファッションモデル、蒼木まや。
真っ直ぐに通る声を聞き、私は久しぶりに清々しい気持ちになった。

かつて万博が開催された都市、大阪府吹田市で生まれ育った蒼木。
幼い頃から、踊る事が大好きだった。

小学3年生の時、とあるアニメをきっかけに、バトントワリングの存在を知った。
地元の文化センターで行われていた練習に参加し、すぐにバトンの虜となった。
「美しさと技術力、両方が問われるから本当に難しいんです」
両親からは「猪突猛進」と言われる程、これだと決めた事はとことん追求する蒼木。
バトンにおける美しさとは何か。
そして、美しさを表現するのに必要な技術は何なのか。
試行錯誤のうち、蒼木の目標は高くなっていった。
「全国大会で優勝する事ばかり考えていました」
世界各国と比較しても、日本のバトンのレベルは非常に高く、競争が激しい。
中学、高校時代は、大きな体育館のある兵庫県西宮市まで、毎日通った。
「ずっとバトンに打ち込んできたので実力はつきました。でも」
何か言い出そうとした蒼木の表情が突如曇った。

蒼木が高校3年生の時。
最後の全国大会直前、練習中に半月板の怪我をした。
当然のように続けてきた練習が、急に出来なくなった。
ライバル達の事を考えると、焦りばかりが募った。
思うように練習ができない悔しさで、泣いてばかりいた。
「あの時ほど、辛いと思ったことはありません」

そんな中、なんとか全国大会には出場できたものの、思うような成績を残せなかった。
10歳から自分の意志で続けてきた事を、簡単に諦められない。
体調管理をしながら、大学進学後もバトンを続けることに決めた。
しかし、怪我をして以来、思い通りにならない事が多くなった。
恩師に相談したところ、「続けるなら、練習の回数を減らした方がいい」と言われた。
だが、蒼木は納得できなかった。
「バトンが大好きなんです。だから、中途半端に続けるなんて出来ませんでした」
怪我と戦いながらも、日本チームの一員として世界大会で優勝を勝ち得た。
通常なら、そこまで達成できたのだから、満足してもおかしくはない。
だが、蒼木はあくまでも個人での優勝にこだわっていた。
「個人での全国大会優勝が一番の目標だったから、それが達成できなかった事は心残りでした」

選手生活に終止符を打った蒼木が飛び込んだのは、美容師の世界だった。
美容師の世界は、バトンに通じるものがあると感じた。
持ち前の明るさと胆力で、みるみるうちに技術が向上した。
顧客からの評価も高まった。
しかし、美容師としてのやりがいを感じながらも、ふとした時に、バトン時代の事を思い出してしまう。
個人で優勝できなかった悔しさ。
「もう一度、表舞台に立ってみたい」
そう考えた蒼木が次に目指したのは、モデル業界だった。

美容師仲間に惜しまれつつ、チャンスを得ようと上京を決意。
幸運にも幾つかの事務所から声がかかったが、蒼木が選んだのは、NMT inc.だった。
意気揚々と、東京でのモデル活動をスタートさせた。
だが、蒼木の想像以上にモデル業界は厳しかった。
それは蒼木がバトンを通じて経験したものに重なった。
だからこそ、シビアなモデル業界は、蒼木を本気にさせるのに相応しかった。
「モデルがバトンと違うのは、順位が決まる、というものではない所です」
モデルはバトン競技と違い、得点で決まるわけではない。
ビジュアルは勿論、様々な表現力との総合力で起用の有無が決まる。
そこに、モデルとしての奥深さがあった。

「モデルという職業に出会った事で、これまでの価値観が変わりました」
誰よりもトレーニングに打ち込む事に変わりないが、誰かと競うのではなく、常に自分自身との戦いということを知った。

蒼木は練習を重ねるにつれ、次々と仕事を獲得できるようになった。
特に、NHK朝の連続ドラマに出演したことは、蒼木にとって大きな収穫だった。
そんな中、主演舞台「上手に伝えられなくて」が決まった。

先日、無我夢中で稽古をしている蒼木に再会した。
「見ていて下さい」
蒼木の眼は自信に満ち溢れていた。
そんな蒼木は今日、舞台初日を迎える。
私はこの後、蒼木と初めて会った時と同じ様な輝きを舞台で体感するだろう。
蒼木が千秋楽を迎える時には、次なるステージへと昇華するに違いない。

☆蒼木まや プロフィール☆

(執筆)加藤陽太郎 クリエイティブディレクター。1984年生まれ。早稲田大学大学院国際情報通信研究科修了後、日本郵便株式会社本社勤務を経て独立。
メディア関連企業の戦略策定や企画のプロデュースをはじめ、執筆や写真撮影によるコンテンツ制作を手がけている。