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2016年3月16日

モデル事務所 NMT inc. インタビュー特集 第16回 芦田桂子

芦田桂子インタビュー
所属モデルをより深く知って頂くことを目的としたインタビュー特集。
第十六回目は、芦田桂子(あしだけいこ)のインタビューをお届け致します。

 

「ファッションはストーリーを語る」 芦田桂子

街中に並ぶ、幾つものショーウインドウ。
思わず立ち止まり、上質な服に見とれてしまう事はよくあるだろう。
ただそんな時、こう思ってしまう事はないだろうか。
自分にはとても似合わないだろう、と。

ファッションモデルの芦田桂子は言う。
「そんな事思わないで、もっと自分を奮い立たせなきゃ」
長年、モデルとして活躍してきた芦田はこう主張する。
「素敵な服が似合う女性になりたい、という強い意志が必要だと思う」
自分に合った服を選ぶのではなく、着こなしたい服に合うような自分を創る、という芦田の言葉。
それは、芦田自身がモデルとして歩んできた経験から得た教訓のようだ。

芦田はいつも、もっと綺麗になろうと、自分を磨く事に余念がなかった。
憧れのファッションこそ、芦田にとっての原動力だった。
西日本を中心に活躍してきた芦田が東京に向かったのは、40歳の時だ。
「絶対、東京でもモデルとしてやっていけるっていう気持ちがあった」
芦田は揺るぎない強い意志を持っていた。
しかし、上京した当初は中々仕事が決まらず、苦戦したという。
残り三ヶ月間、結果が出ないようならモデルを辞めるとスタッフに宣言したという芦田。
作品撮りを繰り返し、スタッフとクライアント周りを行う日々。
更に、独自の特色を出そうと、「野菜ソムリエ」や「漢方スタイリスト」等の資格を取得した。
学んだ知識を元に、一般人向けのセミナーも開催するようになった。
かつて美容部員だった事もある芦田は、自分の知見から人に何かを伝える事が好きなようだ。
モデル活動の傍ら、そのような活動を続けていくうちに、東京でも活躍の場を広げていった。
40代になっても更に、自分の魅力を高めていこうとする芦田の意志は、衰える気配がまるでない。
「気合いでしょうね、気合い」
これからもなお、挑戦は続きそうだ。

芦田のバイタリティの源はどこにあるのだろう。
「大自然の中に入った時、気がついたんです」と芦田は言う。
ダイビングを始めた時の事。
海中の風景、降り注ぐ光に包まれて芦田は思ったそうだ。
「私って、本当にちっぽけだな」
芦田は、圧倒的な自然の中で、自分が弱い存在である事を実感したという。
そのような弱さの自覚が、「それなら、やってやろう」という意欲を強固なものにした。
「情熱をどれだけ注いで、一筋に頑張れるかが大切だと思う」
自信を持って何かに打ち込む姿勢こそが、人としての美しさだ、と芦田は言う。

こんな事も芦田は言っていた。
「年齢を重ねるのって、結構いいものですよ」
素敵な服はその世代によって変わって行く。
だから、歳を追うごとに、その素敵な服が似合うような自分でありたい、という意志を繰り返し持つ事ができる。

芦田は、若手モデルからの相談にもよく応じる。
「私が後輩達に伝えられる事は、どんどん教えていきたい」
芦田に触発された若手モデルは多いはずだ。

芦田のエレガントな雰囲気は、他でもない、芦田自身の意志によって創られたものだろう。
どんな状況でも、挑戦を続けてきた結果に違いない。
より高く、より前へと進んできた芦田の姿勢は、次世代のモデル達にとっての道しるべとなっている。
「よし、私だって」
芦田に続くモデル達が、これからも次々と増えて行く事だろう。

☆芦田桂子 プロフィール☆

(執筆)加藤陽太郎 クリエイティブディレクター。1984年生まれ。早稲田大学大学院国際情報通信研究科修了後、日本郵便株式会社本社勤務を経て独立。
メディア関連企業の戦略策定や企画のプロデュースをはじめ、執筆や写真撮影によるコンテンツ制作を手がけている。