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2015年6月2日

モデル事務所 NMT inc. インタビュー特集 第4回 永瀬かおる

永瀬かおるインタビュー

所属モデルをより深く知って頂くことを目的としたインタビュー特集。
第四回目は、永瀬かおる(ながせかおる)のインタビューをお届け致します。

 

「視点を高くゴールへと」 永瀬かおる

「最初に上京した時は、モデルってシンデレラになれるような事だと思っていました」
ファッションモデルの永瀬かおるはインタビューの冒頭で恥ずかしそうに言った。

永瀬は過去に一度、モデルを目指すべく、上京したことがあった。
しかし、当時は思い描いていたものとのギャップもあり、地元である広島に戻って別の仕事を頑張ることにした。
「今振り返れば、当時はプロ意識が足りなかったのかもしれません」

一旦、東京でのモデル活動を辞めた永瀬は、地元のPRに貢献できるような仕事をゼロから頑張る事にした。
そこで巡り会った仕事が、サッカー番組のレポーターだった。
「とにかく、必死で食らいつく毎日でした」
サッカーのルールの理解や、選手名鑑などを読み漁る毎日。
その度に、独自のファイルに書き込みをしていき、自分だけの資料を作り上げた。
記憶力には自信があるという永瀬。
受験勉強の頃よりも努力したようだ。
その成果もあって、レポーターとしてのパフォーマンスを十分に発揮できるようになった。

レポーターとしてのやりがいは十分に感じていた。
ただ、時折振り返ってしまう事があった。
それは、高校時代、友人達と夢を語り合った時の事だ。
当時、学内にはアイドルユニットや、演歌歌手を目指す友人がいた。
勿論、永瀬はモデルを目指すと宣言していた。
互いにライバルである同級生達。
着々と夢に向かって進んで行く友人達をみて、自分だけがモデルを諦めるわけにはいかないと、何度も振り返った。

とある休日、永瀬は東京へ向かった。
その夜、広島の事務所で一緒に仕事をした事のある後輩に会い、心中を打ち明けた。
東京でモデルとして活躍しているその後輩は言った。
「モデルとして挑戦するなら、今すぐまた東京へ出てくるべきですよ」
永瀬はその言葉を聞いて思った。
最初に東京でモデルを始めた頃と、地元でレポーターを経験した今とでは、仕事に対する意識は全く異なる。
シンデレラでもなんでもなく、プロのモデルとして全力でトライしたい。
そして、自分には今度こそできる気がした。

広島へ戻るまで残り数日。
何らかのアクションを起こしたかった。
すぐに広島の事務所へ電話を入れ、なんとか東京でチャンスをくれないかと相談した。
あまりにも突然の相談ゆえ驚かれたが、永瀬の熱意は伝わった。

広島へ帰る直前、携帯が鳴った。
東京の事務所からの連絡だった。
相談に乗ってくれた後輩を通して、NMT inc.の面接を受けられる事となったのだ。
その縁で、正式に所属が決まった。

「まさか後輩に相談に乗ってもらった事で、道が開けるなんて」と永瀬は感慨深そうに言った。
人との縁を大事にする永瀬ならではのチャンスの掴み方だったのだろう。

モデルとしての再チャレンジを始めた永瀬。
昔とは全く心意気が違う。
漠然としたモデルへの憧れではなく、いかにしてモデル活動に取り組むのかに真剣だ。
「地元でのレポーター経験が活かされています」と永瀬は言う。
例えば、現場では積極的に自分から他のモデルやスタッフに声をかける。
情報収集を細かく行い、自分は何をすべきか常に考えて行動をしている。
サッカーでいえば、それはチームプレイと呼べるだろう。
過去とは違い、永瀬の視点は常にフィールドを見渡すような高い位置にある。
サッカーのレポーターを通して、全体を見渡す仕事の仕方を自然と身につけたのだろう。

「一度東京に出てきた事も、地元で頑張ったことも、全部プラスになっています」
40代、50代になってもずっとモデルを続けたいという永瀬の視線は、ライバルの動きを少し意識しつつも、常に前方を向いている。
目標をはっきりと話す永瀬は、未来のゴールを確実に捉えているようだった。

☆永瀬かおる プロフィール☆

(執筆)加藤陽太郎 クリエイティブディレクター。1984年生まれ。早稲田大学大学院国際情報通信研究科修了後、日本郵便株式会社本社勤務を経て独立。
メディア関連企業の戦略策定や企画のプロデュースをはじめ、執筆や写真撮影によるコンテンツ制作を手がけている。