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2016年3月1日

モデル事務所 NMT inc. インタビュー特集 第14回 鶴岡ひなた

鶴岡ひなたインタビュー
所属モデルをより深く知って頂くことを目的としたインタビュー特集。
第十四回目は、鶴岡ひなた(つるおかひなた)のインタビューをお届け致します。

 

「続ける事の価値」 鶴岡ひなた

「才能」とは何だろう。
誰しも才能について考える事があるはずだ。
ファッションモデルの鶴岡ひなたは、才能についてこう言った。
「続ける事が、才能だと思う」
私はインタビューを進めるにつれ、鶴岡の言ったその言葉の重みを感じずにはいられなかった。

幼い頃から何かを作るのが好きだったという鶴岡。
パティシエの父からはケーキ作りを教わり、祖父からは日曜大工、祖母からは洋裁を教えてもらいながら育った環境が影響したのだろう。
鶴岡は服飾系の専門学校へ進学し、ファッションの道を志した。

ある時、学校で制作した洋服を発表した事があった。
背が高い鶴岡は着る役を任された。
「気がついたら、服を作る事以上に着る事が楽しくなっていました」
それが、鶴岡にとって初めてのモデル体験だった。
間もなくして事務所に所属が決まり、プロのモデルとしての道が始まった。
鶴岡のポリシー。
「無心になって、全力でやる事」
間違っているかもしれないと思いながらやった事は、ほとんど失敗する、と鶴岡は言う。
モデルとしての覚悟を決めた鶴岡が向かえたのは、試練だった。

所属して間もない頃。
深夜に、祖父が亡くなったとの知らせを受けた。
すぐにでも駆けつけたかったが、その日は大切なオーディションが入っていた。
祖父は亡くなる前、鶴岡にしきりにこう言っていた。
「自分に何かあっても、仕事があったら帰ってくるな」
祖父の言葉を思い出し、葬儀には出席しなかった。
その時決まった仕事が、鶴岡にとって初めてのCMとなった。
鶴岡は言う。
「モデルは、代わりがきかない仕事だから」
どんな事が起ころうと、自分でやりきる事。
それがモデルの使命である、と。

間もなくして、鶴岡は再び試練に立たされた。
祖父が亡くなってから半年後、3月11日、東日本大震災が起こった。
鶴岡が生まれ育った宮城県石巻市は、甚大な災害に見舞われた。
家族がどうしているかはわからない。
一刻も早く、家族のもとに駆けつけたい。
「でも結局、行かなかった」
苦渋の決断だった。
「私が行ったところで、足手まといになるだけだと思ったから」
考え抜いた結果だった。
鶴岡はこの時もまた、普段通り仕事に専念するよう努めた。

続ける事が才能だ、と言う鶴岡の言葉。
それは、鶴岡自身の経験から導き出された答えなのだ。

「大笑いするのが得意です」と言う鶴岡。
鶴岡の笑う表情が印象的な作品を見た。
幾多の試練を経験してきた鶴岡ならではの表情。
その時私はふと、鶴岡の明るい笑い声が心の中で響き渡った気がした。

☆鶴岡ひなた プロフィール☆

(執筆)加藤陽太郎 クリエイティブディレクター。1984年生まれ。早稲田大学大学院国際情報通信研究科修了後、日本郵便株式会社本社勤務を経て独立。
メディア関連企業の戦略策定や企画のプロデュースをはじめ、執筆や写真撮影によるコンテンツ制作を手がけている。

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