所属モデルをより深く知って頂くことを目的としたインタビュー特集。
第二十一回目は、黒澤かなえ(くろさわかなえ)のインタビューをお届け致します。
「まだ見ぬ領域を求めて」 黒澤かなえ
関東有数の陶器、笠間焼の産地として知られる、茨城県笠間。
ファッションモデルの黒澤かなえが生まれ育ったのは、笠間から程近い小さな町だ。
小中学校時代、一学年は40人程度。
自然豊かなその町で、黒澤はのびのびと育った。
大学生になった黒澤は就職活動を目前にして、様々な仕事について調べた。
働く事は黒澤にとって、自分の「器」を作っていく事に等しかった。
特に黒澤が注目したのは、ファッション業界。
当時の人気モデルに夢中だった事もあり、黒澤はモデルを職業として意識し始めた。
間もなくして黒澤はオーディションに合格し、モデルとして活動するに至った。
東京には、言うまでもなく大勢のモデルがいる。
モデル業界で活躍するには、キャリアのあるモデル達とも競わなければならない。
ウォーキングやポージングのトレーニングを繰り返す日々。
一つの事に、とことん没頭する性格の黒澤。
モデルとして一人前になる努力を、黒澤は欠かさなかった。
そのようにして、黒澤の「器」は徐々に形成されて行った。
NMT inc.の門を叩いたのは、キャリアを4年程積んだ時の事だ。
もしかしたら、自分の知らない仕事の領域があるのかもしれない。
それを経験してみたい、そんな一心だった。
黒澤がまず取り掛かったのは、今までのブック(モデルの営業用作品集)ではなく、これからなりたい自分をイメージしたブック作りだった。
それを手に、黒澤はNMT inc. の面接に挑んだ。
晴れて所属が決まったものの、黒澤を待ち受けていたのは、厳しい現実だった。
「自分の器を、一旦全て割る必要がありました」
まるで完成した陶器を、自ら落として割るような感覚。
新しいブック作りをした事は間違っていない。
しかし、新たな環境で求められたのは、もっと本質的な事だった。
それを自分のものにするには、並大抵の努力では太刀打ちできない。
思い悩んだ末、新しい自分の器を創る覚悟を決めた黒澤。
時には、先輩モデル達の活躍を目の当たりにして、焦る事もある。
そんな時、黒澤は深呼吸をしてリラックスする。
「今私に出来る事は、一つひとつ積み重ねて行く事だけです」
なりたい自分に突然なれるわけではない。
憧れのモデル達は、一歩一歩進んで行く中でその地位を獲得したのだ。
NMT inc.に所属して間もなく、かつて地元でアルバイトをしていた、コンビニエンスストアのCMが決まった。
その事を店長に伝えに行くと、大変喜んでくれたそうだ。
黒澤が新たな器作りに挑戦する事は、周囲の期待に応える事でもある。
「チャンスは沢山ある。後は自分の努力次第です」
そういう黒澤の表情は、確信めいて見えた。
まるで陶器がかまどで火を通され、創り出される様な過程。
黒澤の今の境遇は、決して生半可なものではないだろう。
しかし、強い火を通された器は必ずや、誰もが魅了される唯一無二の器となるに違いない。
かまどの熱い火は例えるなら、黒澤自身の強い意志の様に思う。
黒澤は自ら望んで、険しくもやり甲斐のある道を選んだのだから。
メディア関連企業の戦略策定や企画のプロデュースをはじめ、執筆や写真撮影によるコンテンツ制作を手がけている。