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2018年6月5日

NMT inc. インタビュー特集 第32回 石橋奈美

石橋奈美インタビュー

所属モデルをより深く知って頂く事を目的としたインタビュー特集。
第三十二回目は、石橋奈美(いしばしなみ)のインタビューをお届け致します。

「自然体であるために」 石橋奈美

俳優・モデル 石橋奈美。
彼女が中学生の頃、メディアでは連日のようにスーパーモデルがもてはやされていた。
なんて格好いいんだろう。
石橋はモデルに対する憧れを募らせた。
高校時代、近所の脚本家との縁から、事務所を紹介してもらった。
モデルとして一歩を踏み出すチャンスを得た。

放課後、制服を着たまま、レッスンへ足繁く通った。
しかし、憧れのスーパーモデルのようには上手くいかなかった。
「10代の頃は、何もわからないまま、がむしゃらにやっていました」
ウォーキング、ポージング、そしてダンス。
「仕事には中々結びつきませんでしたが、全てが初めてだったから楽しかった」

最初の転機は、テレビのバラエティ番組のオーディションを受けた時に訪れた。
「これまではモデルという意識しかなかったんです。でも、それ以外の可能性に気づけました」
見事、オーディションを獲得。
その後、番組を通じて様々な事を学び、他の仕事にも繋がっていった。
「この頃から、芝居の仕事も入ってくるようになりました」
演技のレッスンを通じ、表現する事の楽しさに益々魅了されていく。
舞台、連続ドラマのレギュラー、更には昼ドラの主演まで駆け上り、活躍の場を広げた。

そんな最中、TBS「世界ふしぎ発見」のミステリーハンターのオファーをもらった。
元来、人が好きな石橋は、心が躍った。
持ち前の明るさで、次々と未知なる国々へと旅立って行った。
そして、ミクロネシア連邦の「ヤップ」という島に辿り着いた。
「とにかく、何もない場所なんです。だからかえって、周りのものが愛おしく感じられました」
石でできたお金が流通したり、飲酒運転のテストをヤシの木に登らせて試すような島だった。
10代から芸能界にいた石橋にとって、ヤップ島での体験は、まるで別の人生を歩んでいるような出来事だった。
「この島で生活してみたい」
そう思うと同時に、順風満帆な芸能界とは全く別の世界に行く事に躊躇する自分もいた。
悩んだ挙句、新しい世界にチャレンジする事に決めた。

ヤップ島は当時、人口が8000人程だった。
島には俳優という職業は存在しない。
「そんなヤップだったからこそ、様々な事に気づけたんです」
続けて石橋は、こうも教えてくれた。
「ヤップにいた際、単に美しさを追い求めても、それは本当に人を魅了する事にはならないと思ったんです」
島で出会った日本人男性と結婚し、子宝にも恵まれた。
気づけば7年間、ヤップ島で生活していた。
しかし、娘の小学校は母国である日本で学ばせたいと思い、家族で話し合った結果、帰国を決意した。

すると石橋に大きな変化があった。
「日本の四季の美しさが、今までとは違うものに感じたんです」
この国で、再び表現者として活動したい。
石橋はそう感じた。
正直、大自然から帰国したばかりだったので、戸惑いもあった。
そんな石橋の背中を押してくれたのは、他でもない、娘だった。
「毎日のように、励ましの手紙をくれたんです」
それを機に、NMT inc.に所属する決意を固めた。

「本来の自分を引出すには、人目を気にしない事が大切なんです」
ヤップ島での生活は、既存の価値観から解放される事だった。
自然体のまま表現する。
その大切さを、石橋は感じ取ったのだ。

本日より、数年ぶりに出演する舞台「ラフカット2018」の幕が開ける。
「ヤップで過ごした時間があったからこそ、こうしてまた舞台に立てるような気がします」

ヤップ島の空の蒼さ。
私は、それを見た事がない。
ただ、石橋から感じる、透き通った心地よさから、ヤップ島の空を想像する事はできる。
私は今回の舞台を鑑賞して、石橋が初めてヤップに降り立った時のような感覚を覚えるに違いない。

☆石橋奈美 プロフィール☆

(執筆)加藤陽太郎 クリエイティブディレクター。1984年生まれ。早稲田大学大学院国際情報通信研究科修了後、日本郵便株式会社本社勤務を経て独立。
メディア関連企業の戦略策定や企画のプロデュースをはじめ、執筆や写真撮影によるコンテンツ制作を手がけている。