
所属モデルをより深く知って頂く事を目的としたインタビュー特集。
第59回目は、松川エミリアのインタビューをお届け致します。
―松川の原点―
▼はじめに生い立ちを教えて下さい
父が日本人で母がポーランド人です。
神戸育ちなんですけど、家ではポーランド語で会話していたので日本語が不得意でした。
ただ、小学校2年生ぐらいから自然と話せるようになって、学校生活も楽しくなりました。
▼学生時代はどんな風に過ごしましたか?
英語をどうしても学びたかったので、両親を説得してニュージーランドの高校に進学しました。
ホームステイ先はすごく田舎で、自然が大好きな私にとってはとてもいい環境でした。
小さい馬を飼って乗馬を楽しんだりもしました。
▼馬を飼うなんて凄いですね!
今考えるとそうですね(笑)。将来は山羊とか飼ってみたいです。
▼大学も海外ですか?
いえ、色々悩みましたが、地元の関西学院大学で環境や国際関係について学びました。
当時、車椅子の友達ができたことがきっかけで、車椅子バスケのマネージャーをしていました。
車椅子バスケの事を全く知らなかったので、新たな発見が沢山あったんです。
とはいえ、私は特別なサポートをする訳ではなく、健常者と同じ様に仲間と過ごしていました。
心身共にタフな彼らと遠征や試合で地方に行ったりして、充実した学生時代を過ごせました。
―社会人を経て気付かされたことー
▼卒業後は?
製薬会社に就職しました。
母が病気がちだった事もあり、専門的なことを学べる環境で働きたいと思ったんです。
薬の将来性と奥深さも知れたので、すごく貴重な経験となりました。
▼高い志があったんですね
そんな高尚なものではないのですが、私にとって「人」がモチベーションになることが多いです。
これからも色々チャレンジしていきたいですね。
▼素敵ですね!
ありがとうございます。
製薬会社の後は、昔から船が好きだった事もあり、船に関わる企業に転職しました。
船員や部品の手配など様々な人達と関わるうちに「人は一人では生きれない」と改めて気付きました。
―モデルへの転身―
▼モデルになったきっかけは?
美容院でヘアショーに誘って頂きました。
当初お断りしていたのですが、「やる前から出来ないと決めつけるのは良くない」と思い始めました。
出演を決めた後、モデル事務所主催のレッスンを受講したのですが、その際スカウトされました。
▼これもご縁ですね
そうですね、私は人との縁に恵まれていると思っています。
そのレッスンを受けていなければモデルとしての私はいないし。
▼仕事を辞めてプロのモデルになろうと思ったきっかけは?
これまで人から与えられる事が多かったけど、モデルを通じて人に喜んでもらいたいと思ったんです。
モデル業界は厳しい世界なので正直悩みましたが、あの時の選択は間違っていませんでした。
―松川ならではの生き方ー
▼いつ上京してきたのですか?
約4年前です。今は自然に囲まれた千葉の郊外に住んでいます。
▼東京からは距離をとったんですね
そうですね。神戸の頃、人が多くて騒がしいのに不思議と孤独感があったんです。
田舎は近所付き合いや庭の手入れなどやることが一杯ありますが、心身共に充実しています。
▼エミリアさんは自分に正直ですよね
人は凄く好きだけど、人に流され過ぎないようにしています。
振り返れば、これまでもずっと自分らしくいられる場所を選択してきたのかも。
▼今後モデルとしてどう成長したいですか?
これからも自分らしくやっていきたいです。
最近は事務所主催の演技レッスンに参加させてもらって、一喜一憂しています。
新しいことに挑戦するのは刺激的だし、毎日課題に取り組むのが楽しいですね。
▼最後に一言お願いします
事務所には申し分ないほど、沢山の愛をもらっています。
これだけ一人ひとりに向き合ってくれる事務所はないんじゃないかな。
期待に応えたい気持ちで一杯です。
応援よろしくお願いします!
【編集後記】
松川には人を惹きつける柔らかなオーラがある。
幼少期は国際色豊かな神戸で、高校時代はニュージーランド、
そして現在は田舎生活を実践する彼女だからこそのオーラ。
松川は「どの時代も今の自分が一番好き」という。
この言葉は、彼女がその時その時を全力で生きている証に他ならない。
私自身、27歳のとき一念発起して故郷の大分から上京した。
東京のキラキラした世界に胸を膨らませた事を今でもよく覚えている。
松川のインタビューを通じ、田舎育ちの私だからこそ深く共感できることが沢山あった。
時には自分を俯瞰して見つめる事の大切さも彼女から学んだように思う。
松川の魅力が一人でも多くの人達に届く事を心から祈っている。